スポンサーリンク

ペットとして飼育するということ

 

最近、不思議に思っていることがあります。

みなさんにとって生き物を飼育するとはどういうことだと思いますか。

 

飼い育てること。

適切な場所、環境で適切な資料を与える。

生活のパートナーだったり、鑑賞対象だったり、生活に必要な労働力を得るためだったり資糧を得るためだったり。

目的は様々です。

 

何かやむを得ない理由があったのかもしれないし、誰かに勧められたのかもしれない。

飼い始める理由も様々ですがどんな経緯があったとしても、

 

私は動物の飼育を『命を搾取し、権利を収奪している』に過ぎないと思っています。

 

動物を飼育するのであればどんな境遇にせよ、それは動物のためではなく紛れもなく自分のためです。

ペットとして飼うのであれば尚の事。

私は私のためにフェンちゃんを飼っています。

フェンちゃんのためでもフクロモモンガのためでもありません。

 

『独りで過ごすのが寂しいから』実はこれが最初の理由です。

正直少し人生に疲れてしまっていた頃。

独りでいたいけど、ずっと独りでいるのは良くないと思った。

だからフェンちゃんをお迎えしました。

 

一緒にいれば癒してくれる、それだけではなく彼女がいる事で絶対にやらなくてはいけない事が生まれます。

食事の準備に掃除や遊び。

無気力で何もしたくない時でも起き上がるきっかけがあるおかげで、私はどんな時でも動き出せる。

 

フェンちゃんの食事を気遣う事で自分の食事もバランスが良くなったり。

フェンちゃんの動画や写真を残したいとカメラも扱えるようになったし、動画編集やこうやってブログも立ち上げられるようになった。

そうやって得た技術や知識はフェンちゃんにだけでなく、これから生きていく上でいろいろな分野で使うことができます。

彼女がいるおかげで得られたものや学んだことがたくさんあります。

 

ですが、フェンちゃんからすれば私から得られたものなんて何もありません。

好きで一緒にいるわけでもありません。

彼女が求めているものもわからない。

生涯をかけても、私が彼女に返せるものは何もありません。

 

『いい飼い方ですね』とか『優しいですね』と褒めてもらうことがある。

そう言われると正直申し訳ない気持ちになります。

どんなにいい環境を整えてどれだけいい待遇をしたとしても、飼育されているという時点で動物にとっては閉じ込められている、不自由な暮らしを強いられているに過ぎません。

その条件下でどれだけ尽くされたとしても幸せとは程遠いと思っています。

自然の環境に近づけて、自然の状態の食生活や暮らしに近いものを与えて、飼育方法を考える際によく聞くフレーズです。

だったら自然界にいるのが一番いい状態なのでは。

本当に動物が好きなら、本当に動物の幸せを願うのであれば

考えば考えるほど

『飼わないことがいちばんの幸せなのでは』

という結論に辿り着きます。

前々からわかってはいたことですが、実際に飼育を続けていくうちにどんどん浮き彫りになっていきました。

 

ですが私はフェンちゃんを飼い始めてしまった。

途中で止めることはできないし、最後まで責任を持って面倒を見なくてはいけません。

フェンちゃんは私にとっては大切な家族です。

 

ペットとして飼育するにあたって当たり前にしなくてはいけないことをしない人がいる。

私が何か言ったところでどうにもならないし、あまり関わりたくないというのが本音で見て見ぬふりをしていました。

根本的に飼育が何か、動物を飼うことの本質を理解していればそんな浅はかな考えには至らないのではないかと思います。

 

動物を飼育するならば、一生涯相手の自由を奪うという後ろめたい気持ちでいて欲しい。

そのくらいの考え方で接した方が一生懸命にお世話ができるのではないかと思います。

 

世の中は人間が楽しめるペットの飼育方法で溢れかえっています。

そんなことをされても動物は喜ばない。

そういうものを見るのは私は苦手です。

 

今の私たちの生活はそういった考えから成り立っています。

正しい飼い方だというわけでもないし、十分な飼育ができているわけでもないと思います。

そんな私が言えるようなことではないのかもしれませんが、

これからペットをお迎えしようと思っているのであれば、今から自分がしようとしていることは何か一度考えてから。

今飼育しているのであれば、自分の接し方を少し考え直してみてください。

 

少し厳しい話になりますが、心に留めて置いて欲しいと思ったのでブログに残しました。

 

 

 

 

 

 

スポンサーリンク

コメント